デンビの日常2025編
電気美術研究部であるということ。
電気美術研究部第79代幹事長のユユと申します。
昨年の末、尊敬するガク先輩が、デンビ部員によるブログ「デンビの日常」を復活させてくださいました。
ガク先輩をはじめ、78代幹部や77代幹事長など、多くの先輩方がその想いをこの場所に認め部を去っていきました。
そんな先輩方の背中を追うように、私もここに一つ、今の想いを記させていただきます。
私が電気美術研究部の存在を知ったのは、三年前のサークルフェスティバルの帰りでした。
吹き抜けステージでの発表はすでに終わっており、わずかに残っていたブース展示を何気なく覗いたのが、最初の出会いです。
イベント屋の息子であるユユは、かつて一度は諦めた「父の仕事を学ぶ」という夢を、思いがけず再び掴むことができました。ちなみにこの時にデンビを紹介してくれたのは、モツ先輩とアオ先輩です。
こんなどうでもいい過去回想は置いておいて私は直接の後輩たち、いつかこれを見るかもしれない未来の後輩たちに伝えたいことがあります。
目次
・「電気美術研究部であるということ。」
・間話 大好きな団体の話
・機材係って知っていますか?
・侮ってはいけない雑用(雑ではない)話
・一年間幹事長をやって。
・瑣事色々
・まとめ
・「電気美術研究部であるということ。」
電気美術研究部 通称:デンビ
我々は普段この名前を背負って活動を行っています。私の大好きなコバ先輩らの作成した沿革では、デンビの結成当初1946年は電気美術部という名前だったそうです。1959年に新たに研究部が加えられ現在の名前となりました。13年の年を経て研究部と名づけたことにはその時代の強い意志があったのだと感じられます(きっと部活の名前変えるのはとてもめんどくさいはず、、)。ここには、現状に満足せずより良いものを目指して技術研究を行なう。という想いが込められていると勝手に思っています。
そんな電気美術研究部に入った時に言われた、先輩(誰か忘れました、心当たりある人は誇っていいと思います)のある一つの言葉が、一年生の最初から今もずっと私の心にあります。
『どの現場も誰かにとっては人生最後の晴れ舞台かもしれない。』
ぱっと見れば「そりゃそうだろ」と思われるかもしれません。
けれど、この言葉は、この三年間一度として私の頭から離れたことはありませんでした。
我々デンビは、よく“黒子”と表現されます。表で輝く演者ではなく、イベントや舞台を支える裏方の存在です。
ありがたいことに、私たちは毎年15〜20件以上ものご依頼をいただき、時には、今月のように1ヶ月で5現場(2025年12月執筆)という、少し頭のおかしいスケジュールの月もあります。ほぼ毎月のように現場があり、それが大学生活の一部として当たり前になってはいないでしょうか。
しかし、ご依頼くださる演者の皆さんにとっては、大学四年間の集大成であり、ものによってはこれまでの人生最後となる大切なステージです。
その“人生で一番輝く瞬間”のすぐそばで、黒子として支えられるという喜びを知った時、私はこの部活を最後まで続けようと決めました。
この人たちの晴れ舞台を任されたのだという使命感があったからこそ、私はこの三年間を走り抜けることができました。その想いは全ての現場が私にとって人生最後となった今年強く再認識することとなりました。
来年の80代は、部員数が少なかったり、部創立80周年という節目の年でもあったりと、きっと大変な一年になると思います。
それでも、後輩の皆さんにはどうか、この気持ちを忘れずに活動してほしいと、強く、強く願っています。
また、もう一つ少し違う言葉も伝えたいと思います。これはザキ先輩か誰かが言っていたと思うのですが、
「観客や演者が気付いてない失敗は失敗じゃない。」
これは私が一年生の時、初めて天馬祭を担当することとなった際に先輩から教えてもらった言葉です。この言葉を私は大変気に入っており、同期や後輩たちに何回も伝えている言葉でもあります。この言葉の意味はつまり、「間違えちゃっても、バレなきゃオッケーでしょ」ということです。
もちろんミスをしないことが大前提ですが、万が一ミスをしてしまっても本番は止まってくれません(止まったらそれはそれで困りますが笑)、過去を振り返るのではなく、今、その先を見るためにもミスを深く考えないことが必要だということです。たとえミスをしてしまっても、そこからいかにして元の照明に戻すかというのは本人の技術によります。ミスに怯えるのではなく、間違えてしまっても気にしない心を持ち、間違えてしまっても澄ました顔で本来の照明に復帰できるようなオペレーターになって欲しいと願っています。
あまり大きな声では言いづらいですが、バレなきゃ問題がないし、ミスしてもリカバリーできるのはすごいという気持ちで頑張ってください。
・間話 大好きな団体の話
間話なら何を書いてもいいかなと思い、ここに私が大好きな団体の話を書かせていただきます。
部活としてではなく、私個人のデンビ人生において一番大好きな団体を、職権濫用してここに残させてください。
「駒澤大学体育会應援指導部ブルーペガサス」
私とブルペさんの出会いは、天馬祭だと思われるかもしれませんが、実は違います(これは誰にも話していないので、知らないはずです)。
現時点で新たに幹部、議長兼車両責任者となったアサ君が、入学直後に教えてくれたのが始まりでした。
力強い動きのリーダー部、様々な踊りやスタンツを行うチアリーダー部、そして応援の根幹となる音を奏でるブラスバンド部。
当時の私は大学ってすごいなと心から思いました。
小学校・中学校で応援団を経験し、応援団長まで務めた私からすると、「リーダー部に入るしかないやんけ!」という気持ちでしたが、とにかく厳しいと聞き、心が折れました。ほんの一瞬でした。
その結果デンビに入ったわけですが、あの時に感じた憧れが消えることは一度もありませんでした。
そんな中で迎えた天馬祭。
(神宮の時は袖にいたのですが、正直まったく記憶がありません……涙)
規律の取れた集合、我々デンビに対する挨拶、講堂に入るときの一礼、移動はダッシュ。
もう、完全に脱帽でした。
憧れのブルペさんと迎えた天馬祭は、私にとって最高の時間でした。
あの日から一か月ほど、第一応援歌がずっと頭の中で流れていました。
また、これは読んでいるほとんどの人には伝わらないと思いますが、当時の代表コウさんがやっていた「駒大節」が、とにかくかっこ良すぎたのが強く印象に残っています。あれ動画とかないですかね?ほんとに酒瓶持って動き回るコウさんめちゃくちゃかっこよかったんですよ!!!!全人類に見て欲しかった。あの後よく駒大節ごっこやってましたね懐かしい笑
2年生では、天馬祭の前に神宮への誘いがあり、野球応援を行うことになりました。
野球のルールが分からず、客席のブラスさんたちの動きを見て「お、今か!」などと必死に合わせていたのを覚えています。
また実は、ブルペの皆さんが入れ替え戦に行っている間、我々は記念講堂のスクリーンに中継を映し、一緒に野球応援をしていました(笑)。
この時には「ブル注(ブルペ注目)」というガク中もどきも行いました。
伝統にしたかったのですが、どうやら私が初代で末代だったようです(涙)。
そして迎えた第20回天馬祭。
当時も話しましたが、これが私のデンビオペレーター人生最後でした。
感無量で、ジョウさんに感謝しまくっていた記憶があります。
この時も「最後がブルペさんで本当によかった」と強く思いました。
2025年、トップバッターは箱根駅伝。
父の都合で、こっそりスタート地点の応援に行きました。
あの日の寒さは、正直意味が分かりませんでした。数多くの他大学が横並びで応援している中、明らかに一番声が出ていたのはいうまでもありません(比喩とかじゃなくて本当に一番出てました)。
その次は、人生で初めての野球観戦。
前年の神宮への誘いで野球に興味を持ち、友人と大田スタジアムまで足を運びました。
生で見る野球応援は、ブルペさんへの愛をさらに強めるものとなり、一年間で5回ほど野球応援に参加しました。
ブルペさんの演奏、踊り、応援が生み出す熱気は、客席だけでなくスタジアム全体に届いていました(大田スタジアム、遠すぎたけど笑)。
知り合いもちゃんと連れて行き、野球応援の布教活動もしておきました。
その次の「鼎の舞」。
これ、本当にすごかったです。見ていない方は後悔した方がいいです。
私はこの時期、専攻の調査が入る可能性があり担当を外れていましたが、
駒澤・亜細亜・東洋の三大学、それぞれの個性が輝く応援に目が離せませんでした。
特に、各大学のメンバーがコラボするステージでは、「これはダメでしょ、死ぬって」と言って後輩を困らせたのも、今では良い思い出です。
鼎の舞を、自分の代で、駒澤の記念講堂で開催できたことは、奇跡だったと思います。
そして最後に、先日の天馬祭。
泣かないと決めていたのに、全然無理でした。
リハーサルで一回、パンフレットで一回、本番で二回しっかりと泣きました。なんなら電車でも少し。
ずっと感動しっぱなしでした。
私のデンビ人生はブルペさんと共にあり、
その彼らの最後の集大成を、この目で、この場で見届けられたことの感動は、一生忘れられません。
ナギさんの最後のメッセージも、83人全員の勇姿も、絶対に忘れません。
そして、ライジングが頭から離れなくて困っています、助けてください。
また、三年間本当に仲良くしてくれていたチアリーダー長が引退してしまいました。
最後にたくさん写真を撮り、プレゼント交換会もできて、とても楽しかったです。
レモンネキがいなければ、ブルペの皆さんとここまで仲良くなることはできなかったかもしれません。
見たこともないであろう、年下のデンビ部員からインスタに連絡が来たのに嫌な顔せず、
受け入れてくれ、仲良くしてくれたことに感謝が尽きません、憧れのブルペさんがすごい身近に感じられとても嬉しかったです。レモンネキが率いるチアリーダー部は間違いなく宇宙一のチアリーダーでした。これからも、卒業しても仲良くして欲しいなとかめちゃ思ったりしてます!
チアの皆さんも、本当に優しくしてくれてありがとうございました(ちゃんと違いわかるようにしておきます!!!)。
本当にありがとう。
一生推します。
ここまで長々と書いてきましたが、つまり、
ブルペさんのことが大好きすぎて困っているということです。
私にとって駒澤大学体育会應援指導部ブルーペガサスと、ブルペの皆さんは一番最高で、最強の団体でした。
「このままじゃ終わるわけない」
その想いを全身で感じる天馬祭、そして三年間だったと、強く思います。
ありがとう。
駒澤大学体育会應援指導部ブルーペガサス。
来年も、野球応援も天馬祭も行きます。
大好きです!!
・機材係って知っていますか?
これは主に照明部の部員のみんなに言いたいことです。みなさん機材係って何やってるか知っていますか?我々機材係は主にケーブルの作成・修理、備品の管理、新しい機材の購入検討などなど。皆さんが毎日活動で使っているケーブル我々がメンテナンスしています。私たちが依頼をいただいて活動するためには、このように日々のメンテナンスや修理が必要不可欠となります。裏方の裏方というようなとてもとても地味な仕事ではありますが機材がかりがなければ照明部は成り立ちません。どうか皆さん機材係に優しくしてあげてくださいね。また、ケーブル製作は全然難しいことではありません。自分たちがいつも使っている機材を知るためにもぜひ積極的に機材係に聞いたり、実際に作成してみて欲しいです。案外練習していくと、コツとか簡単なやり方とか覚えてきて楽しいです。私は自宅でも時々作っています。最近はLANケーブル作成の練習中です!また、今年から第二種電気工事士資格取得試験についての部活補助も始めたのでぜひ資格を取ってみたりしてほしいです。(部活に一人いるだけでとても助かります。)(私も来年がんばって取ります!!)はっきり断言しますが、機材係無くして照明部は成り立ちません。部員全員が機材係!そんな意気込みで頑張ってほしいです。
・侮ってはいけない雑用(雑ではない)話
皆さん!私は一つ言いたいことがある(ご覧の通り一つではないですが)!!
雑用をもっとしてください。
本当にこれ。なんなら一番言いたいまである。
私三年間ずっと雑用続けました。機材出し、ゴミ捨て、ブル暗用意、ケーブルガード・パンチシート、ケーブル接続のビニテ、思いやり(これめちゃくちゃデンビ用語かも?笑)、各種バミリ。これらを一度もしていない人はほんとに危機感持ってください。
我々デンビは裏方。ただしそれに誇りを持っています。ただし先述した機材係しかり雑用があってこその部活です。
私は先輩には従順キャラでいくというやり方で生活しているので後輩であった二年間はさまざまな雑用を行なってきました。ケーブルガードを敷いた回数、ブル暗を設置した回数が他の部員に負けないと思います。なぜ回数が多いのか、それは常に周りを見ているからです(自分で言います)。照明部には部活動時間中でも様々な待機時間があります。その時スマホを見ていたり、おしゃべりをしているだけでは三流。先輩やチーフの指示を受けて雑用をして二流。自分で今できることを探して行うのが一流。と言ってもいいでしょう。雑用というのはいろんな種類がありますがその大部分は依頼者の為だと思っていただいて問題ありません。依頼者(演者)の方々が、裏動線を通る時、暗くて歩きづらくないか?→ブル暗、ステージに入る時足元のケーブルでこけたりしないか→ケーブルガード、下手で待機する時移動しづらくないか?→袖のゴミの撤去、仕込み鞄の整理など、部内でも、ビニテが外しづらくないか?→思いやりをつける、ケーブルが途中で抜け落ちてこないか(
私は過去にバトンから抜け落ちたケーブルが顔に当たりました。)?→ケーブル接続用のビニテ。これらの雑用にはこれだけの理由があります。これら一つでも欠けていたらどうでしょう。デンビも依頼者の方々も困ると思いませんか?こんな仕事は数分でできてしまう簡単な仕事です。誰か一人二人がやれば他の人はやる必要のない簡単な仕事です。だからこそこれを皆さんにやってほしい。1現場で一人二人ですよ。三年間で自分の番は何回回ってくるでしょうか。数が少ないからこそ自分から気づいて動く。このことで自身の技術、能力をあげてほしいです。我々電気美術「研究」部ですからね。効率の良いケーブルガード配置なども研究です。例えチーフなどの役付きをやらなくてもこの雑用(雑では困りますが笑)を日々こなすことで毎日の活動でも目的を持って取り組めると思います。
・一年間幹事長をやって。
私は、2025年の一年間第79代として約60名の部員を率いて幹事長を務めました。今年の代は例年と少し変わってかなり対外的な内容の多い一年間だったと思います。教育講演会の広報取材に始まりテレビ埼玉キャンパスライフTV撮影。YouTubeにも少しだけ出演しました。外部現場も様々ご依頼いただきました(現場の都合上多くお断りしてしまいましたが、、、)。内部現場も新たにご依頼をいただいたり、第二回DENBI FESも無事に開催することができました!私が総合責任者も兼任していた為、かなり大変でしたがやりがいのある現場でした。幹事長としての仕事は多岐に渡り、部活にはあまり参加することはできませんでしたが、私の作業によって部員の皆さんが安全に楽しく活動できる環境を作ることができてよかったと思います。私が幹事長を志したのは一年生の夏合宿でした。照明主任のヌマと風呂などで話しながら俺が幹事長やるからお前が主任やってくれなどと話していたのを今も覚えています。まあ彼はこの話をした後、酔った勢いで事件を起こすんですが笑笑。個人的にあの現場を見ていた私は状況がツボすぎて一生擦っています。ほんとに面白かった笑。そんな志があって様々な経験を経て幹事長になった訳ですが、案外これが難しい。予算極めにも苦戦したし、手続き以外と難しい!?など結構面倒くさいんですよね(どうですか?歴代の幹事長の皆さん!!笑)!それでも多くの部員を率いる代表としてなるべく威厳を持ちつつも一年間活動しました。勿論何回も投げ出そうとしたこともあったしいい加減怒ろうかと思ったこともたくさんありました。しかし、怒ってもなんの生産性もないと思っているので、ほとんど怒らず、基本的には主任に任せることを大切にしていました。それがよかったのかはついぞわかりませんでした(怒ったほうが良かった気もします)。まあ、怪我と依頼者の方々に失礼なことをしなければ基本的にそこまで厳しくない部活を心がけたと思うので、部員の皆さんが一年間楽しんで活動してくれていたら嬉しいなとか思ったり、、。今までの人生で何回も代表をやったり、運営を行ったりしてきましたが、やはり電気美術研究部第79代幹事長という役職は一番大変で一番やりがいを感じた仕事でした。誰かの指示を仰ぐのではなく、自身が指示を出す。この行動に責任を持つことの必要性、重要性、やりがいを感じることが一年間を走り抜ける原動力となったことと言えます。次に引き継ぐ第80代幹事長スミにはこの通りとは言わずとも同じくらい楽しんで、それと同時に責任感を持って活動してほしいです。
そして、一番大切なこと。責任を取るということについて。「何かあったら俺が責任取るから」この一年間結構言ったかもしれません。ただ口で言うなら簡単ですが、この言葉は相当重いものだという自覚を持っています。幹事長が示す責任は謝罪だけでは済まないと思いますし、部活代表として受け入れなくてはいけないこともたくさんあります。それを踏まえても責任をとる。と言い続けたことは、部員にはやりたいことをやってほしい。思ったことを、やってみたいと感じたことを実行してほしい。と言うように自由に活動して欲しかったからと言う他ありません。この年末になっても部員のみんながどう思っていたのかわかりませんが、みんなが一年間やりたいことにチャレンジして活動できていたら嬉しいなと思います。
ユユだから良かった。任せて良かった。うまく行った。やり切った。そんなふうに思ってくれていたら大号泣不可避の大団円だと思います。私が部員を引き連れ歩んだ2025が関わった全ての人々の記憶に残るようなものであったらいいなと思います。
・瑣事色々
ここからはわざわざ章にする必要がない雑談を少しさせてください。
・後輩への奢り文化
この文章を読んでくれている後輩の何人をご飯に連れていってあげられたでしょうか。私が初めてご飯に連れていってもらった日を覚えていません。失礼なのは承知ですが、それくらい、数えられないほど連れていってもらいました。もう私にご飯を奢ってくれた殿堂入りはガヤさんオカさんなどでしょうか。冗談抜きで何万円も奢っていただきました。こんな酒も強くなくあまり飲まず、話も面白くない私を何度も、何度も食事に連れていっていただいたことに感謝が絶えません。かつて2代上のナベさんに言われたことがあります「先輩は後輩にご飯を奢る。これは伝統だから、ユユも後輩に奢っていってあげてほしい(意訳)」。すごい素敵な文化だと聞いた当時思いました。私の高校生活はコロナと共にあり、学校終わりに食事なんてそんなことはなかなかできることではありませんでした。勿論後輩に奢るなんてこともなかったです。そんな環境だったからこそ、自分も後輩にご飯を奢ろうと思い何回か連れていったと思います(奢れなかった人たちごめんね、いつでも誘ってください)。ご飯を奢ると言うことに意味があるのかはわかりませんが、食事を通して普段の話や趣味の話、部活の議論で盛り上がったり、恋愛相談なんかも、、部活でもできるようなことをあえて食事を交えてやることで仲が親密になることは勿論、互いへの信頼やリスペクトを構築することができることを学びました(後輩の子達もそんなふうに思ってくれてたら嬉しいな)。私も先輩に奢ってもらった分きっちりと後輩に奢りました!!後輩もきっとその後輩に奢っていってくれると嬉しいな(無理は禁物!!)!
・好きな灯体の話
私のことをよく知っている人は私の一番好きな灯体を知っているでしょう。それはズバリ、「ミニブル(2灯)」です。これめっちゃくちゃ可愛くないですか?うちの場合だと球が36の500wを主に使っていて小さいながらも眩しすぎる光を放ちます。特に私の大好きなブルペ現場では必須の機材(ブルペさんは学注ライトと呼んでくれています♡)なので、よく使っていました。柔らかい光を素早くつけることで閃光のように、ゆっくりつけることでその温かみを。私の使い方は限られていましたが、球の交換をやったり電源ケーブルのメンテナンスをやったりと特に大切に面倒をみた一台です。
・オータムフェスティバル2025
将来このくそ長い文章を見ることとなる皆さん。今年のオータムフェスティバルはすごいですよ!なんせブース部門優勝しましたからね!!オータムフェスティバルのデンビブース今年は本来開催しない予定でした。昨年の部内反省会を踏まえて開催をやめようと言うことになっていたのに私が忘れて申し込んでしまったのが参加のきっかけとなりました。しかし、担当者の私は本番3日前まで実習で中国へ。よく開催までに間に合わせられたと思います。ブースでは毎年恒例の照明体験と機材展示、活動動画の垂れ流しを行い、私も基本的に在中していました。なぜブースで優勝できたのか、理由はとあるムービングバーライト(クレイパーキーのパチモン笑)にあると言えます。このライトを入り口側に置き、オートモードで外に向けて光がうねうねするようにしました(これ考えたやつ天才だろ)。これによって小さなお客様が多数来場しその後の人気投票でブース部門の優勝を掴むことができました。
・活動時間とかご飯とか
これはとても大事なことなの忘れたらまずいです。いつかデンビに興味を持って入るか迷っている方はぜひ参考にしてください。デンビはまごうことなきブラックです。私の最高勤労時間は朝6時の電車で大学に向かい、終電で帰宅です(尚、最寄りの3駅前で降りる)(2024オータムフェスティバル2日目)。それ以外でも9時集合終電で帰宅はザラにあります(ネタです、普通は21時に解散できます)。先輩たちと毎晩夜ご飯を食べてダラダラしているとこんな恐ろしいことになります。ご飯は月曜サイゼ火曜マック水曜やよい軒木曜やよい軒金曜やよい軒土曜おおとり日曜サイゼなどがありました。現場活動終わりのご飯は流石に家に帰るまで待てなかったのでお金は秒で飛んで逝きました(涙)。
・まとめ
皆さんには思いきり楽しみながら部活を続けてほしい。
その上で、先輩方が長い年月をかけて築いてきた依頼者様との信頼や礼儀を決して損なわないでほしいのです。
少し重く聞こえるかもしれませんが、皆さんの背中には80年分の想いが乗っています。
私自身も、79代までの想いを受け取り、それを力にして一年を走り抜けてきたと感じています。
デンビを卒業していった先輩方の道はさまざまです。
業界に進んだ先輩、一般企業に就職した先輩、家庭に入った先輩、本当にいろいろです。
そして私たち79代も、きっとほとんどがこの業界とは関係のない世界へ進んでいくと思います。
三年間は本当に、本当にあっという間でした。
どうか皆さんのデンビ人生がかけがえのないものとなり、思いきり楽しみながら部活を続けてほしい。
その上で、デンビでしか経験できない数多くのことを味わってほしい。
そして、その気持ちを大切にこれからの道を歩んでいってくれることを心から願っています。
私が勝手に神格化した76代の先輩たち
私に本番中にお菓子を食べるなと叱ってくれた77代の先輩たち
たくさんご飯に連れてってもらいました。本当に大好きな78代の先輩たち
直接の関わりもない私を助けてくれた数多くのOB・OGの皆様
信じられない量のミスに目をつぶり、親切に助けてくださった学校職員の皆様
数え切れない、数々の依頼者の皆様
私の一番の推し駒澤大学体育会應援指導部ブルーペガサスの皆様
こんな幹事長に最後までついてきてくれた後輩のみんな
1年間言い合いながらも最後まで走り抜けた79代幹部の3人
そして3年間(2年間)を最後まで共にした、サト、ヒダ、アキ、オギ、カメ、タム、セン、ユニ、カク、マユ、レイ、フミ、マサ、ヌマたち!!
79代のみんなと歩んだ三年間は、間違いなく最高の思い出です。本当にありがとう。(2025/12/21)

